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Twitterでフォローしてはいけない奴:車界隈 2018-03-21

昨日試行したPC - PS3間をLANケーブルで接続し高速化を図る実験については、PS3でブラウザを使用した場合で効果が現れたように感じる。標準でトップページにされているPSNのページ読み込みに大体20~30秒程度かかっていたのが、10秒程度で済んだ。しかし、これに大きな意味は正直なところないのだが。

 

Twitterの話題をここで取り上げることは何度かしていることだが、殆どの内容がマイナスなものになる。というか、そっちの方しか目につかない。いい方で取り上げるなんて気紛れ以上にあり得ないかもしれない。

お察しの通り、今回もマイナスな内容になる。Twitterでフォローしてはいけない奴という題目である。

 

そんな奴は山ほどいるが

全世界を繋ぐネットワークと化したSNSであってSNSではない(と本社談の)Twitterは、余程でなければ、言い方は汚いが精神異常者犯罪者でも利用できるものである。後はハッカーとか。

それらは例外として、所謂一般ユーザの中で、利用していくうちに分かるのは、

「このタイプの垢とは関わらない方がいい」

という傾向である。

それがどんな垢のことを示すのかは、常識的範囲で考えれば分かるもので、例えばクソリプ野郎とか。話の通じない人間は実生活でも嫌に決まっている。

そんな常識のない垢とは別に、ジャンル単位で関わらない方がいい垢というのがある。

車界隈とそれを主張する人間である。

 

車は1つの「趣味」である

現在はどうか知らないが、恐らく80年代あたりから、「車」=「趣味」という図式が成立しているように思える。詳細は然程知っているわけではないが、GT-R、トレノ86、ユーノス・ロードスター、エボ諸々……。名車と呼ばれるこれらは大抵スポーツカーに分類される。高級車とか外車は興味ないから知らない。

「生活」ではなく「走り」にシフトした車というものが存在するとき、それは単なる「道具」ではなく「趣味」といっていいものである。輸送を目的としていないため、トランクルームが最小限であったり座席が2人シートだったり2ドアセダンだったりと、どう考えても「道具」には適さない。

したがって、そんな車を保有している、或いはしたい人というのは、車が「趣味」になる。

 

インターネットで情報共有が容易になった

2000年代にはインターネットの一般利用によって、その当時はブログ系サイトやmixiのような初期のSNS(よく分からないのでSNS扱いにしている)で、情報交換・共有は容易になったはずである。

しかしそれも多くはおっさん連中に当たる30代くらいであろうか、そこが中心となって利用していたこともあって、恐らく平和であったのかもしれない。その頃はレースゲームも多くはなかったはずで、そこにホモガキの入る余地はなかったはずである。

しかしそれも、現在に近付くにつれ、雲行きが怪しくなっていったように思える。

 

Twitterの登場から数年、車好きの公言が始まる

憶えている限りでは2013~2015年あたりから、Twitter上で車好きであることを公言することが多くなったような気がする。前からそうだった人もいるかもしれないが、何故かその頃から公言する垢が多くなったという印象が強い。

その頃はちょうど傭兵提督(=艦CORE)であったことも手伝って、自垢の勢力を拡大したこともある。本来はACと艦これ関連で繋がっていたので、正直車好きかどうかを気にしていなかった。その後で話を進めていくとそうだった、というパターンであった。しかしこの時は「車好きなんだな」程度にしか思わなかったわけで、特に害はなかったので普通にしていた。

ただ、どこか鬱陶しいようなものは感じていた。

 

レースゲームの影響で車好きの無免ホモガキが増え、抗争勃発

2015~2016年あたりが一番恐ろしい時期だったように思える。

湾岸ミッドナイトとかいうクソレスゲが流行ったせいで無免ホモガキがTwitter上で喚くようになった。

大抵は13~17歳の、普段リアルではいじめられていて友達の1人もいないであろうホモガキがイキりだすようになった。

湾岸の詳細はどうせクソゲーなので知りたくもないので割愛するが、ゲームであろうから性能の脚色はしているであろう。それを実車の性能と勘違いするホモガキと、それを打ちのめすリアル派の抗争が各所で勃発した。

見てて、気持ち悪かった。両方とも。

現実とゲームを区別できないホモガキにも、そんな車如きでマジになるリアル派も、内輪抗争的で気持ち悪く、理解したくなかった。

その後1年くらいかけて、ホモガキはほぼ死滅したようだ。しかしこの一件から、「車好きには関わりたくない」と思うようになった。闇が深すぎる、と。

 

現在は地雷界隈の1つとして認識

そんなことがあってから、車界隈に対して嫌悪感の塊を吐くようになった。

例えば、痛車

例えば、納車自慢

例えば、集会

全て理解したくない。

 

痛車とか、はっきり言って馬鹿だと思う。目立ちたいなら車じゃなくて自分自身を着飾れ。納車自慢したら窃盗団に盗難されるのに分かっていない。寧ろ窃盗されて絶望に打ちひしがれろ。集会とか二酸化炭素を垂れ流す暴走族と同類。ガソリン節約しろ。

 

こいつらとやっていくのは完全に無理だな、そう確信した。

それ以降、関わることをやめた。

 

結果的に「車」は「道具」でしかない

幸いにも、私は車は然程好きではなく、無駄なことをしたくない方であるため、ガソリンを無駄に消費する車より、電気制御の車で安く移動できる方がいい。その方が自動車税や維持費など、無駄な出費を防ぐことができ、生活が安定する。

こう書くと二極化して、攻撃者と賛同者に分かれることだろう。だが2つ言っておく。

「車」は所詮は「道具」の域を出ない。

「車」が「趣味」の時代は既に終わりを告げている。

「車」が「趣味」なことに、肯定も否定も何もない。それ以前に、今の時代に即した生き方とは生憎言えない。

それでも欲したければすればいい、ただそれだけだと思う。それで破滅しようが私には関係ない、そして車界隈には近付かないということだけ言える。結局はそういうことである。

 

疲れたからこれくらいにして。それじゃあ、また。

 

 

ちなみに、今日の気持ち

現在は楽しい。逆にいつ死にたい気持ちに陥るか不安ではある。