言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

始動 2018-04-10

気力が失われているような気がする。よく分からないが。どうやったら気力を補充出来るのだろうか。

 

ところで、今日は研究室集合があったために久々に大学へ行った。実質輪講である。輪講なのだが、研究室の教授が特殊なのか、輪講らしくなかった。どちらかと言えば、話を聞いて何かしらをするだけであある。

今回の輪講では、方針と研究室の整理をしただけで終わった。研究室の整理は何とかなったが、研究の方針に関して悩んでいる。ネタを早めに決める、というのが方針であるが、それが決まる気がしないと感じてしまっているのである。漠然とした不安を抱えたままでいる。

 

研究のネタは自分で探すタイプの研究室

研究室の方針として、研究のネタは自分で探し、それを教授と相談しながら研究を進めていくタイプである。特に相談することを重要視していて、その方が研究を進めやすいということからである。

確かに、その方が研究で躓いても解決のヒントを貰える可能性が高いため、研究のネタがかたまって、ある程度進行しているのならやりやすいだろう。そもそも、それが前提なのだろうが。

しかし問題はそれよりも前のネタ探しである。前回あたりの記事で、「ネタは新作」と書いたが、厳密には既存の技術や研究と比較して、オリジナリティがあるかどうかを見る、となっていた。

オリジナリティ、と言われれば奇抜な内容にすればいいと思うのだが、長く大学が続いていれば、これまでの研究と被る内容は幾らでもあるだろうし、それこそ外の世界では同じような研究が調べれば幾らでもあるだろう。そう考えると、オリジナリティを出すのは正直難しい。

さらに、内容は実現が出来なくてはどうしようもないし、再現性(他の人がやっても結果がほぼ同じになる)も確保しなければならない。そうするとネタがどんどん絞られていく。最終的な結論として、ネタがない、になってしまう。

こう思ってしまうあたり、視野は狭いし、研究者向きではないことがよく分かる。だがそもそも研究者になるつもりがない。

 

理論だけも可なのだが……

3年の後半では、その当時の4年生の研究発表を見ることが仕事でもあった。その発表の中には、理論だけを述べたものもあった。その場合はプログラミング等がないもので、新しいネタとして新しい理論を提唱するのはありなのかもしれない。

ただ、正直なところ、理論だけを整然と述べるのは、私には似合わないと考えている。やはり研究をするなら、何かの形として作ったものを残しておき、その結果を誰かが使用できるようにしておきたいのである。ここまで来てそう考えるのは変な気もするが、理論で戦えないからかもしれない。

ただ、そもそもの話、高等数学レベルの知識を学習して、それをコンピュータに応用する形でプログラミングをしないと難しい場合がある。例えばベイズ推定とか。実際、全く分からない。また、ハッシュ関数だとか、関数の動作とその原理も勉強しなければならないので、この先を考えると不安で仕方ない。理解出来るかも心配である。

 

結局、やれば何とかなるのか

恐らく、この気持ちを抱えて研究に突入した人は、今までもこれからも存在しただろう。その内何人が無事に卒業出来たかは分からないが、卒業出来ているのだから、頑張ればどうにかなるはずである。ただ、評価に関しては自信がない。不安に押しつぶされそうになる。

もし上手くいかなかったら、その時はどうすればいいか、リセットが出来たら、そう思ってしまう。だがもう戻れない。ならもう、やるしかないのかもしれない。やって駄目なら、消滅しようか。

 

それじゃあ、また。

 

 

ちなみに、今日の気持ち

人生をリセットしたい。