言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

営業再開 2018-12-15

いつ振りだろうか。人は元いた場所に戻ってきてしまうものだった。

 

リンクス岐部を名乗り、しかし5月に起きたあのことでしばらくその名前を名乗ることも捨てた。そして自分が「リンクス岐部」であったことを否定するために、そうだった事実を切り離していった。すべての痕跡を消し去っていった。

 

しかし、消し去っても、自分の頭の記憶だけはどうしても消し去ることはできなかった。事実を記憶から消すには、強いストレスか脳への外傷でもない限り不可能だった。そうと分かってしまえばもはやこれまでの行動の意味などない。だったらどうするか。

 

答えは既に出ていた。だがその答えから目を背けていた。「リンクス岐部」であり続けるという単純すぎる答え。それは当時、あまりにもショックが大きすぎたから。全てを失ったように感じていたからだ。

 

だが結局、それはただの思い込みであり、空想であり、非現実であり。そんなわかっていたはずのことに勝手に期待し、思い通りにならなければ勝手に激怒する、一種のクレーマーみたいなことをしていただけに過ぎなかった。

 

時間が経たないとこんな当たり前のことにも気づけないという馬鹿さ加減に、腹が立ってしまうが、もう仕方ないことなのかもしれない。そういう人間で、同じ過ちを繰り返してしまう、学習しても実践できないタイプなのだと。そう割り切るしかない。

 

そして、今は時間が十分に経ち、振り返ってみれば結局「大したことなかった」のである。過去は過去であり、変えようもない事実である。そんなどうにもならないことを考えるより、これから先のことを考えるべきだと。変えられない事実よりも、変えられる予定に目を向ければ、過去のことなどどうでもよくなった。「必要ないもの」としてゴミ箱に捨てることもできた。今までよりも、ずっと前向きになれた。大きな進歩である。

 

きっとこれから先、また同じ経験をしてしまうことだろう。学習しても実践できない人間だから。だが今は立ち直るのも早くなっている。過去は反省材料であるが、思い出ではない。それよりも大事なのは、その反省材料をもとに未来をどう構築するか。地面ばかり見ても、転ぶ。空ばかり見ても、転ぶ。「歩く道」を見れば、きっと転ばない。きっとなのは、不測の事態で転ぶ可能性があるから。だがそれはある種の割り切りも可能である。避けようがないのなら、考えても仕方ないからだ。

 

あの日のリンクス岐部に「さよなら」

あの日のこと、そしてあの過去の者達にも「さよなら」

 

そして新しいリンクス岐部に「ようこそ」

 

営業再開。

 

ここが、このブログが、私の魂の場所だ。