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車社会に向かない国で車を持つことは足枷でしかない 2018-12-24

クリスマスって何だよ(哲学)

 

仏教の概念がある日本においてクリスマスとは商売モデルの一環でしかないだろう。もっとも、宗教には興味がないためそんなことはどうでもいい。強いて言うなら、OUMSNRKYUとSUKGKKIとKUFKNKGKには絶対に触れるな、ということである。KUMITUがいる時点で日本の政治は政教分離できてないんですがそれは。

 

基本的にニュースは嫌悪を増幅させるために意図的に遮断しているのだが、それでも目や耳にしてしまうことは避けられない。ここ最近で取り上げたいのは車関連のことである。ちなみに癌国の話は極右に任せる。俺の結論としては核ミサイル落として、終わりでいいんじゃない?

 

車×ニュースは、99%煽り運転の話しかない。それ以外の話が出たことがないような気もする。車がツールの一部である(※決して遊び道具ではない、これ重要!テストに出る!)ことはもはや当たり前の時代であるが、そのツールを扱うことに関して、日本人は絶望的に適性がないように思えて仕方ないのである。ないと困るが、あっても正しく使える人が全くいないのではあってもなくても変わらない気がするものである。

 

 

煽り運転は定義されていない時代から存在していた

ここ最近から煽り運転の定義がされ、法整備がいきなり急速に進むというNTSBもびっくりな展開が起きていた。もっとも、死人が出てから進んだ話なので、人間は結局実害が出ないと動かない無能だな!という話でもある。もちろん人間が無能なのはこれに限った話ではない。

そもそもであるが、定義される以前から煽り運転は半ば日常的行為の1つであった。特に高速道路では当たり前のように追越車線で行われていたわけである。とはいっても、する人間の気持ちは正直、分からない。慌てて急ぐくらいなら最初から余裕を持て、とも言いたい。それとも辛抱強さを持つ人間が少なくなった所為だろうか。どっちにしても愚行だ。

自分の置かれている状況が状況なので、自分で運転することは全くなく、なら何で免許持っていると言われそうだが身分証明書代わりでしょ運転中に遭遇したことはない。ただ、同乗することはあるので、稀に煽られることもあった。他の車が煽られているところも見ている。なので経験はあるわけだ。

結局この頃に思っていたのは、「安全運転の欠片もない屑」が車に乗ったら「走る凶器」に変貌する、そしていつか大事故が起きてこの行為は問題になる、ということである。そう思って過ごしていたら実際に起きてしまったわけだが、起きるまで疑問や危険視していた人は然程いなかったように思える。人間の恐ろしい一面である。

 

「法」が整備されても守ってはくれない。「自衛」という選択肢

そんなわけで法整備がされていったわけだが、結局のところ「法」は誰も守れていない。守っているのは体裁だけということである。あと守る気のない人間が多すぎるそりゃあそうだよ、法なんていつも国や大企業に有利な内容しか作らないし、法は民じゃなくて利益を出す者を保護するための「機能」だし。ザル法多すぎるんだよなぁ。そういうわけで煽り運転は現在も続いている。習慣はすぐには直せないようだ。

結果自衛手段が必要になるわけで、その際たる物が「ドライブレコーダー」である。あの事件の後、急速に売れたと聞いている。やっぱり企業のためじゃないか(呆れ)。そのため車の殆どが監視カメラと化した。これで迂闊にやろうものなら、証拠を突き出して終わり!閉廷!となる。しかし大抵が前方につけていることを考えると、後ろから煽られたら多分記録取れないと思うんですけど(名推理)。なので後ろにもつけた方がいいのかもしれない。

この方法は現在の状況から見るに必須行動である。しかし、「自衛」しないと車に乗って移動するのが難しくなるという現代に疑問の視点を向けるべきである。これではいじめられっ子原因理論と全く同じ状態で、何の解決にもならない。そもそも必要ないはずだったことを必要にさせるというのは、全くもってナンセンスである。

 

煽り運転以外にも: 自動車税の弊害、無能の日本政府

主題が「足枷」であるので、理由はもちろんこれだけではない。

 

まず政府の車に対する考え方が馬鹿

 

これは誰もが思っていることであろう。

軽と普通車で自動車税の重さが違うのはおかしい。比較対象を普通車:業務用:娯楽用にしろ。一般家庭に負担を強いるな。娯楽用=金持ちだからそこから徴収しろ。

エコカーじゃないと課税って何だよ(理不尽)。だったら乗り換えのための費用負担しろよ。車はそうそう簡単に買(変)えるものじゃない。

13年以上乗り続けると課税とか何だよ(当然の疑問)。こんなに面倒ならもう自転車でいいじゃん(退行)。

中身を見ないで課税するから民意は絶対反映されないってはっきりわかんだね。車を売ってレンタカー借りて、どうぞ。なお上記は間違っているかもしれないので知ってる兄貴はコメント書いてホラ。

 

元も子もないことを言うと、車なんてなくても歩けばいいんだよ!(極論)

 

無能な日本政府に対抗するには、車を持たないことが一番だと思った(KONAMI)

 

車がなくても大丈夫な時代へ

個人的見解だが、車なんてなくても生きていけるし、行動範囲が狭い場合は歩くだけで事足りるわけである。自転車だと実は難しい。意外と範囲が狭まってしまったりする。それに最近人権ないしね。

むしろ、景気低迷の現代(無能政府「回復しています(大嘘)」=日本政府はホモ)で収入は少ないし車があると圧迫される、なんてことが十分あり得る。この場合は素直に車を手放せばいい。そして「車」という足枷を開放してあげよう。こうすることで、車があった頃よりも行動範囲が広くなる可能性は十分にある。遠方に車で行くことだけが行動範囲が広いという意味ではない。「近場」だけど気にもしなかったところに行くようになったら、それも「行動範囲が広くなった」と言えるからだ。

それに、インターネット環境(SFTBNKだけはやめろよ!)さえ整っているなら、大抵のものはそれで揃うし、場合によるが配送もしてくれる。もっとも、WWIIIになったりどこかのハッカー集団がインターネット網を破壊したりしたらどうなるか分からないが。だからと言ってそれが車を持つ理由にはならない。メリットよりデメリットが大きいと知っているからだ。

これを言うと、所謂車界隈に所属する奇喪汚多*1基地外達の反論があるだろう。しかし、本来ツールでしかない車を娯楽としている奇喪汚多に言われたところで、そもそも思考が違うため議論にならない。そのため反論はスルーするのが一番である。あいつら同属でもいがみ合うくらい低俗だからね。まさに奇喪汚多。

 

結局車は無くていいという結論に至る。そして無くても大丈夫なように構造が変化している。無論、業務用の車は必要なのだが、デメリットしかない現代で個人で所有する意味はない。そうと分かったのなら、車を捨て、浮いた金はやりたいことに注ぎ込む。生き方の多様化といってしまえばそれまでなので、どうしたらいいとは言えない。だが、無理して足枷をつけておく必要は無い。その足枷をつけていることよりも、もっと便利で気楽なシステムも登場している。それを使って、もっと快適になるべきだ。そして価値観は自分で作っていき、誰にも邪魔させないようにする。現代において必要なのは、こういう思考なのだと思う。

 

車社会に向かない国で生きるなら、車に別れを。それじゃあ、また。

 

今回の一言

免許証はいずれ高級な身分証明書と化す。その時代は遠くないだろう。

*1:「キモヲタ」と読む。独自開発した当て字。多分流行らない。