言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

(Short Article) 誰も気にしない 2019-05-07

準備は一任するわ(DIAN)

 

ガバガバ暗殺シリーズ"HITMAN"、華麗にサイレントアサシンするもよし、ガバガバ虐殺するもよし、本当に自由度が高い。しかしよく思うのが、警備員がゲノム兵並みというのが笑える。やっていて笑えるゲームは、これが久しぶりである。

ちなみにDIAN姉貴はHITMAN(2016)の日本語音声に限り、クリミナル・マインドのプレンティスである。そのため、バンコク紐パンヒマパンホテルのターゲットにケン・モーガンがいるのだが、モーガンと呼ばれるため、プレンティスがモーガンの暗殺をナビゲートするという、ちょっとした笑える状況にもなるのである。

 

さて、休日は終わり、地獄の日々に逆戻りさせられたわけではあるが、連休前に静岡逝きを逃れるために体調不良のために休んだわりに、大して何も言われることはなかった。日が開きすぎているのか、或いはそもそも興味などないのか。どちらにしても、特別変わったことは無かった。

その瞬間に気付いたのは、特別に重大ではない限り、他人が何をしようとも殆どの人は全く気にしていないということである。良く言って個人主義、悪く言って無関心となるが、私にとっては良く言ったほうで捉える。その方が気楽でいられるためである。

意識するほど人は他人を「見ていない」

現代の傾向として、自分のことで精一杯な人はおそらく多いと思われる。無能な政府の無能な政策により誰も助けてはくれないこと、頼れないことが多いと思われる。これも時代背景と技術革新とインターネットの発展により、そのような社会構造に変動していったものと考えられる。

その結果、自力で何とかするしかないという状況に嫌でも陥るわけである。実際には助け舟を求めていいようなことを言っていても、「空気」がそうさせない場合がある。ジャップの悪い癖である。

しかし、その弊害か、そのおかげなのか、自分のことに集中せざるを得なくなり、周りを見る余裕は無くなっていっているようである。逆を返せば、自分が困っていても助けてもらえないことでもある。だが元々、独りで行動する人、自力でやってしまいたい人からすれば、全く問題にはならない。

したがって、考えようによっては、案外自由に行動できる可能性が高い。とはいえ、ブラック企業という組織に属している以上、自由はそもそもないのだが。

※どうでもいい話だが、日本人は「縛られる」のが好きなようで。どうやら自由すぎると逆に不安を感じるだとか。しかし人は進化していくもの、いつまでも「縛られた」ままでは何も変わらないと思うんですけど(名予測)。ドMかな?

 

果たしてどこまで許されるのか

結局のところ、相手に迷惑をかけなければ(=相手が迷惑だと思わなければ)、何をしたところで問題ないのだろう。しかし、それはほぼ不可能である。既に退職予定を立てていて、静岡逝き回避の体調不良を実行したためその方面の担当は確実、また研修全体を担当する上長と面談することになったりと、多方面で既に迷惑をかけている。

しかし初回であるので、お咎めより何故か心配されることになった。良く分からない。だが、おそらく許されるのは今回だけであると考えている。それ以上はお払い箱というものである。

ただ、配属先の考慮はするらしい。ただ、大抵こういうものは願わないものである。そのため、逃げられる準備はしておかなければならない。これがいい経験になればいいのだが、おそらくうまくいかないだろう。

 

思い返すと、自分がいかに適当な人間かよく分かった。そして独りで仕事ができる才能がないことも分かっている。結局「縛られなければ」生きていけないのは私も同じだった。しかし、その失敗から価値観が明確になったこと、これだけは良いこととして捉えてもいいのかもしれない。ものは考えよう、とはよく言ったものである。

ショート版になってしまったが、平日でも書くならこれくらいしか書けなさそうである。トレンドを追わない者だから仕方ない。

 

価値観は変わっていくもの。それじゃあ、また。

 

今回の一言

PC販売・修理業はどうなのだろうか、最近思うようになってきた。