言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

朝が来なければと願う。だが朝は来るから 2019-05-12

日曜日憂鬱が溜まる。また現実に戻されるということ、そして自分の(これからするであろう)基本的な仕事のできなさに落胆しながら、寮と会社を往復することである。これを考えるだけで、明日にでも事故死しないかと願ってしまうくらいに気分が沈む。47ならしてくれそう(HITMAN)。

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コロラドから、バッテリングラムでマヤ・パールバティを暗殺するシーン。痛いけど一瞬だからまだマシ。

現実には故意に引き起こさない限りほぼあり得ないわけで(HITMANでも準備をして故意に引き起こしている)、さらに痛みを感じるかどうかも分からない。できれば感じたくないが、それは無理そうだと考えている。

しかし、それが完全に気絶しているときや寝ているとき、そもそも認識できない距離からの一撃ならどうだろうか、ということである。その間にシルバーボーラーで頭を打ちぬかれたり、1kmほど離れた地点から、警戒していない状態でWA2000で打ち抜かれるのも、ある意味一瞬で死ねる方法だと思う。そもそもシルバーボーラーは家1件分の価格WA2000は生産数が少なすぎるため、あり得ない話であるが。DFのWA2000に依頼する?しかしあいつポンコツだか無理だろう。あとDFやってないから詳細は知らない。

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DFのWA2000。ハゲではないのとバーコードがない以外はほぼ47である。

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47。ハゲでバーコードでスーツ。暗殺以外なんでもできる男である。

なので、準備は一任するわ。

 

[準備を一任している +114514点]

 

雑談はともかくとして、相変わらず死にたいと思いながらも死ねない、そんな気持ちを持ちながら生きている。ここで書くことといえば、今どういう風に生きているかくらいである。

会社と仕事へのモチベーションは最低

こればかりは選択肢を間違えた私に大半の原因があるのだが、はっきり言えば会社と仕事へのモチベーションは最低である。かつて地元の711のコンビニでアルバイトしていたときのほうがモチベーションが高かった。5年勤続し、オーナーも店長も、他のバイト仲間も関係が良好だった。自分にとっては環境が良く、場所も15分歩いていける場所だったこともある。

おそらくだが、ここから「待遇」「仕事内容」より「環境」、とくに「場所」を重視していると読み取れる。しかし、どうしてなかなか、このことに気付けず、今に至るわけである。

ただ、これに限らず、自分が何を大事にしている・するのかを、大学時代の就活中に見つけろというのがまず無理難題である。実質の就活開始を一般に3回生の1月とすれば、大体6ヶ月でそれを見つけろ、という話である。自分探しの旅という名のニート期間ではないが、時間も判断材料も殆どないのに無理である。

よって、今回の失敗とは、もはや前提のものだったように思える。要するに「負け試合」である。DQVのパパスvsゲマ(全自動、死亡確定)を思い起こすと分かりやすいだろう。そして年月が経ってからリベンジマッチというのも、やはり合っている。

ここでできるアドバイスは、転職前提で、自分が妥協したくないことについて徹底的に前面に出すことくらいである。もし新卒で入った企業が、妥協したくないことを満たさなかったら転職、という形でいいと思っている。終身雇用なんて時代遅れだし、何がしたいか分からないし多少はね?

 

徐々に蝕まれていく精神

私は我慢がほかの人よりできない体質のようで、すでに身体に異常をきたした。静岡逝き前の強烈な吐き気を契機に、研修先では殆ど喋ることはなくなり、そして性格は元に戻った。元の性格は声が小さく、主張もしない、一言で言えば「空気」のような存在である。さらには常に後ろ向きで考える。高校の頃はこれで、大学では少しずつ前向きになったと思ったら逆戻りである。

これは環境要因もあり、私自身の要因もある。しかしどちらにしても、今の状況では治ることはきっとない。治るとすれば、環境要因が排除されたときしかないと考えている。そのためにも早めに逃げなければならないことが分かる。だが、時間がかかる。

そうしているうちに、自分の精神が徐々に蝕まれていく感覚を覚えた。自分が壊れていく。「眼」を通して、今見えていることが他人の空似のように思える。身体が自分の意思と連動していないように感じる。勝手に動く。

自分が自分でなくなっていき、最後にこの身体は死んだ誰かの霊が憑依して操り、「私」という意志は永遠に眠らされたままになるのではないかとさえ思う。そして、それを願ってしまう私がいる。

このままの状態が続けば、いつか私は死体で転がることになるのかもしれない。場所がどこであれ、方法がどうであれ、いっそのこと死ねたらとも考えている(冒頭の事故死含む)。

上のことはメンタルが弱いといえばそれまでだが、だがどうやってメンタルを強化したらいいのかとも思う。目に見えないものは、結果も方法も見えないのだからどうしろという話である。それに精神論は嫌いだから。

 

朝が来ないとき、幸せか

死にたがりの定型句のような話であるが、眠りに落ちた後、そのまま朝が来なければいいとも思っている。これではむしろ、地獄への片道切符のような気がするが。

正直なところ、何故苦しい思いをしながらも生きるのか分からないので、結果的に死んでもいいか、とも思うようになっている。ずっと前からある希死念慮と合わさって、ふとしたきっかけがあれば、あっという間に向こう側に渡ってしまえるだろう。しかし、この方法では案外死ねないし、後遺症が残るくらいならやめたほうがいいわけであるが。

なので、結局他人や自然任せに死ぬことを望んでいるという、どうしようもない人の出来上がりである。だが、もし朝が来なければ。そのときは、幸せなまま死ねるかもしれない。「もう苦しまなくて済む」から。

かつて教職関連の講義の課題で、「いじめ自殺問題」についての自身の意見を記述することがあった。その中では、「いじめからの解放=自殺」ということを問題にあげて、それに対してメディアの報道はどうするべきか、などを挙げたことがある。

その話ではないが、(思い込みを含め)逃げようのない状況に人が陥ったとき、その逃げる最後の手段として「死」があるように思える。どうやらその思考は、大人でも子供でも一緒のようだ。そしてそこに至る原因はいずれも、誰も助けてくれない、失敗を許さないお国柄のせいのように思えて仕方ない。こんなんだから自殺大国なんだよな終わってんな。技術は先進国でも人の心は発展途上国以下だ。

しかし残念ながら寝ても死ぬ確率は低すぎるし、自殺する勇気もないしで、ただ苦しみながら生きるだけという悲しい現実が待っている。どうしてなかなか、うまくいかないものである。

 

もし私が死んだら、悲しむ人や怒る人はいるのだろうか、そして後を追うものがいるのだろうか。ただ、そんなことは問題ではない。一番心配なのは家族。それさえどうにかなれば、後はどうだっていい。大事なものが分かったためである。

 

死にたさを抱えながら今日も1日が終わるので、それじゃあ、また。

 

今回の一言

男って人生が強制的にハードモードでつらい。難易度設定が理不尽すぎる。