言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

(Short Article) 例え「公式」でも、疲れるものは疲れる 2019-05-30

人は多種多様だが、大分類すれば2種類に分けられる。

1つは外向型。所謂、「人と何らかの形で関わることが好き」なタイプである。大抵の人は外向型であり、社会は大多数で構成される原則から、残念ながら外向型人間社会でできている。理不尽だな。

もう1つが内向型。こちらは「1人になることが好きで人が多いと疲れる」タイプである。5人に1人が内向型と言われているらしいが、実際はもっと多いと考えている。大多数に(無理に)合わせている人が少なからずいるためである。無理するな。

こんな話をするのと、今までの記事からもう察しがついていると思うが、私は消去法で内向型である。そもそもこんなこと書いている時点で外向型なわけがない。外で全裸になっているだろうな。

そんな内向型である私にとって、狭い空間で人が多く集まるようなところというのは疲れるものである。そこに集まるのは、知った人だけではないからである。嫌いなやつも紛れていれば、尚更である。

非公式で行われるものであれば積極的に避けるのだが、これが公式となると流石に難しいものがある。会社公式で行われる飲み会などがその際たる例である。大抵、ほかの名目の下行われるのだが。

もっとも、それが行われたのは昨日の話であり、今書いているのはそれほどに疲れていてどうしようもなかったのである。

壮行会という名の「飲み会」

壮行会というものが結局何を意味しているのかよくわからないまま、その日が来た。これは元々、入社後の合宿研修終了後に予定されていたものが中止となり、その後いろいろ調整をした上での開催となったらしい。

各事業所およびスタッフとの顔合わせがメインなのだろうが、どう考えても飲み会がメインような気がする。私の会社は不思議と回数が多い気がするのだが、気のせいだろうか。ミニ四駆大会でもアルコールは出たし。

そのため、まあ気を遣うことは気を遣うし、生理的NGな動機同期もいるし、空間は狭いし、正直なところ、疲れた。私にとってのメリットは、夕食代が浮いた位にしか思わなかったのである。そういう目的もあって参加していることもあるが。

私としては全体でやるにしても、元気側と落ち着きたい側で分けてもらえるとありがたいものである。全員が全員、そういう場で過ごせるものではないためである。そうしないと、ただ疲れるだけで何をしにきたのかまったく分からなくなってしまう。

 

「慣れ」の問題ではない

どこかの馬鹿が言いそうな話であるが、「慣れれば大丈夫」といった精神論的な話を持ち出してくることがあるかもしれない。だがそれに関してはWA2000で撃ち抜くくらいに否定する。

「慣れ」の問題ではなく、固有の性格や傾向による問題である。

なので、慣れるのは料理の質とか店のシステムとかであって、雰囲気や状況は慣れることは絶対にない。慣れたとしたら、それは芯が外向型の人である。

合わない奴もプラスで大勢でいるよりは、自分で厳選した数人で話をしたりするのが最適である。それでも、頻繁には行わない。気が向いたときに、たまにやるくらいがちょうどいい。普段は普段で忙しかったりやりたいことなどがあると考えれば、自然とそうなるのである。それに、1人でいるときほど休まるからである。

こう思うのは私だけかもしれないが、もしいたら自分の感覚に従うといい。疲れるものは疲れる、それに嘘をついてはいけない。ただ生き辛くなるだけである。

 

内容が薄いように見えるのは平日だから、それじゃあ、また。

 

今回の一言

飲み会などの場では、真の人間性が見られることがある。観察すると面白い。