言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

ゲームが「仕事」になる日 2019-06-25

犬や猫は何もしなくても誰かが助けてくれる、だが人相手では誰も助けない(非情の理)

 

 よく駅前または駅構内で、ボランティア(という名の免罪符行為)で募金(ほんとぉ?)の呼びかけをしている人がいる。それも時間的に昼だったりするので、何の仕事しているのか気になるものである。裕福なNEETなのか、NGOなのか、副業マスターなのか。だが副業マスターはそんなことはしないと勝手に考えている。そしてNGOなら、もっと規模が大きいはず。だから、殆どは裕福なNEETなんだろうと思っている。

派遣先へ配属となってからも連絡を取り合っている1人(ソフトウェア)から、いろいろと話を聞くことができた。どうやら、派遣は所詮派遣、といえるような話を聞いた。6月からの開始なのでまだそこまでの情報量ではないので、この話は追って別の日にでもしたいと思う。旧: 特定派遣現: 常用型派遣は一般派遣よりも効率が悪く、そして最悪の働き方でもあることを情報発信するべきと感じたためである。これがまかり通っている今のジャップはやはりおかしい、とてもおかしい。国力衰退のレベルを超えている。もはやブラック国家ジャップだ。やはりもう一度アメリカの植民地にでもなったほうがいいのではないだろうか。

そう思いながら、週末だけ実家へと戻り、仕事と働き方を考えていた。だが答えなど出るはずはない。地上波のどうでもいい番組は観ずに、CSやBSの特定の番組と海外ドラマを観ていた。やはり、この方が自分にとってはクソみたいな転勤を強いられる仕事より大事であり、仕事は所詮仕事だなと思わせてくれる。逆説的だが、こう思うことは、世にとって不要な仕事であるようにも思うのだが、どうだろうか。

そんな中、隔週でいつも楽しみにしているものがある。よゐこ有野晋哉、もとい有野課長がただひたすらにゲームクリアを目指すだけの番組である。

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ゲームセンターCX / Retro Game MASTER

ゲームセンターCXである。

ドキュメンタリーから元祖ゲーム実況番組へ

2003年からCSで始まった番組である。元はゲームセンター「CX」であり、この頃は各クリエイターへのインタビューを中心としたドキュメンタリー番組であった(はず)。要するに、単純にお話を聞く、退屈な番組であったということだ。

だが、おまけのコーナー如く、課長(当時は課長ではないが、便宜上課長と呼ぶ)がゲームの裏技を検証するコーナーがあり、そこで四苦八苦する課長がいたのである。そして、やっていくうちにおまけが徐々にメインとなっていき、そして課長がゲームをクリアすることが目標となり、いつしかタイトルもゲームセンターCX(「」がとれる)となった。今に至るまでのゲームセンターCXと、「課長」というキャラが誕生するきっかけとなった。

テレビ番組であっても、CSであることが影響しているのか、或いは共同制作会社であるガスコイン・カンパニーが「変わった」会社であるのか、本来裏方であるはずの人も表に出ることが多いのである。その際たるものが、初代AD・東島真一郎氏をはじめとするAD陣、カメラなのに映る阿部さんポンコツ作家と呼ばれながら、著書を出版する文豪・岐部先生(10年ほど前の爆笑レッドシアターにも携わっていた→スタッフロールに名前が載っていた)、課長がドラクエ挑戦時に寝てしまったことがきっかけで人気になったAD福富ミカン氏など、これでもかというほどに表舞台に立っている。挙句の果てに、プロデューサーの1人でありながらナレーターも務める菅さん。しかもたまに映る(主に課長がやらかしたときに)。ちなみにガスコイン代表取締役でもあり、従来は表に出るような役職ではない人が(基本的に声だけだが)出るというのも、変わったところといえる。そもそもADも表に出ない役職ではあるが

そしていつしか、CSが一般化していくと、GCCXは多くの人に視聴されるようになる。その人気は留まることを知らず、視聴率の増加はDVD-BOX、生放送、生挑戦、イベント開催、ゲーム化……『中年のおっさん芸人がゲームをしていたら、1つの番組ができた』それは、ただの番組だけでは終わらなかった。ただゲームをしているだけなのに、いろいろとできてしまった、というのは本当にすごいことであると思う。課長は、ある意味「ゲームの神様」とも言えるのではないだろうか。

そんなこんなで2018年に15周年という節目を迎えて、2019年も変わらず課長はゲームに挑め続け、感動と笑いを与えている。今でこそ、数多のゲーム実況番組およびチューバの同等なものは存在するが、だが課長に勝てるものは存在しないと信じている。なぜなら、課長こそが本格的なゲーム実況者の第一号である、そう考えているからである。

 

現代のゲームは「遊び」を超えた存在

画期的家庭用ゲーム機であるファミコン(ファミリーコンピュータ)は1983年7月15日に登場し(アメリカではNintendo Entertainment System/NESとして1985年10月18日に発売された、その後各国へ拡がる)、ここからすべてが始まった。この当時のCPUはリコー製RP2A03(カスタム)で1.79MHz, 8bitの性能であったので「ファミコンは8bit」はここから来ているようだ。ただし、憶えが正しければ課長がマリオをやっていたとき、「マリオの残機数は127を超えると0になる」話をしていたはずなので、数値としては7bitまでしか扱えない(MSB=符号ビットと思われるので、2^7=128, 0~127まで)。

そんなハードウェア的制約の中で、さまざまなゲームが登場したのは言うまでもなく、さらに周辺機器も登場して、色々なところが努力をしていた。そのおかげか、様々なゲームが生まれて、同時にハードウェア自体も進化した。おそらく30年ほどで、現在のレベルまで上がっている。ただしそれ以上の進化は正直望めないようだが。

その過程でゲームの存在意義というものが変化していった。インターネットが一般化し、ゲームとインターネットはほぼ常時接続されるようになると、戦う相手がビットから人と回線のラグとなった。直接的対戦(対人戦)もすれば、間接的対戦(スコア・TA)もする。戦い方は自由自在である。だが私は好きではない。

そして勝負事には大抵、勝者に報酬が存在する。しかしこれまでの報酬が出る勝負事といえば、スポーツや文学が主であった。だがe-SPORTSの登場が、ゲームを「遊び」から「真剣勝負」のレベルへと押し上げたのである。もう、所詮「遊び」とは言えなくなった。だからといって一般電子遊戯兄貴を罵るのは、やめようね!特にガンダム動物園は、やめようね!

現在のe-SPORTSがどうなっていて、かつどのような形で、そしてどのジャンルで勝負するのか。その情報は私はまったく知らない。元々興味ないからだ。だが、一般のスポーツとは違い、屋根のない会場で、暑さや寒さに堪えながらやることもない。勝負するのは、自分とハードウェアの限界である。

 

ゲームが公式に「仕事」となる日

ハードウェアとしても、内容としても進化した(※一部衰退あり)ゲームだが、残念ながらこれが「仕事」という状態にはなっていない。逆のクリエイター(内実はブラックだぜ!)は仕事なのだが、これはほぼ0(あるいは1、リメイクなら9)から"100"を創るのだから、合っている。現在は100が200になったり、あえて10のままで100にする方式があるが(DLC)。

しかし、現代のクソみたいな状況が終了するころには、やるべき仕事の大半は機械化されて、社畜は過去の負の遺物となり、遊ぶことがむしろ仕事になる時代が到来するであろう。このタイミングでデトロイト市警だ!とか言われそう(へなちょコナー)

そうなると、「ゲーム」は仕事となるのではないだろうか。それも、最もやりやすい「仕事」として。好きな人は体を動かす仕事=スポーツ、頭を動かす仕事=企画?(ここほんとわからない)として選択できるようになっていて、ここからイレギュラーが現れて管理者が修正する、そしてナインボール=セラフと戦闘になる←違うだろ!いい加減にしろ!今よりも圧倒的に生きやすい時代が実現するかもしれない。もっとも、そうならない可能性もあるので、単なる夢物語でしかないのだが。

ただ、1つ言えるのは、所謂ゲーマーと呼ばれるコアユーザーは、これだけ多くのゲームが存在する中でありながら、表に立つ人数が少ない。また、その一部はトランペットチューバとしても活動するものがいるが、そこで現実的な資金を得ることができているのがごく一部でしかないということである。ゲーマーには、今は生きづらい時代だ。なので「普通」に溶け込みながらひっそりと息を潜めて待っている人も多いと思われる。ある種、利口である。

もっとも、ちょっとしたことであらゆることに変化が起きる時代でもあるので、そういう意味では期待していてもいいのかもしれない。ただし過度の期待はしてはいけない。

 

ゲームが一番好きなこと、それが仕事になることを願って、それじゃあ、また。

 

今回の一言

才能を気にするより、人を気にするより、世間体を気にするより、常識を気にするより、したいことをしろ。自分に嘘はつくな。