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(Short Article) 所謂「仕事人間」がありえない件について 2019-06-20

ぬわつかやめしご(迫真空手部)

仕事内容よりも環境と人間関係に疲れることがわかった最近であるが、環境はどうにもならないとして、人間関係の方は例のホモガキがついにいなくなるので楽になるだろう。また、「敵」と認識した奴は後1人残っているだけである。これも、ホモガキが主体であったため、ホモガキがいなければ何もしてこない。そのため研修センターはしばらくの安泰となる。できることなら二度と顔も合わせたくないな。

ここ最近に思うこととして、プライベート重視であることを宣言している私から見ると、一昔前に言われていた、「仕事人間」という存在がありえないように感じてきたのである。

というのも、これまで仕事してきて(とはいえ2ヶ月半であるが)、所詮仕事は仕事でしかないためである。単純に金!のために働く、そこにやりがいや目的などを求めても仕方ないものであるとわかったためである。悪い洗脳から解放されたようだ。

時間と場所の引き換えの給料「仕事」

現代では、おそらく多くの仕事は時間と場所に拘束され、その引き換えとして給料が出ていることと思われる。一般的であり、不変的でもある。対照となるリモートワークは、一部の仕事のみ可能であり、それもパソコンが1台あれば完結するようなことくらいでしかそれをすることができない。媒体はインターネットを基本とするので、これに当てはまるのは、フリーランスのSE/PG、ブログクリエイター、ホルンチューバといったものである。どれも一部の上級國民プレイヤーのみがそれだけで生活できる給料(あるいは報酬)を稼げる。他のプレイヤーはまるで雀の涙だ。

したがって、そういう人でもない限り、(普通に生きるのも難しい人も含めて)多くがこれまで通りの仕事に従事する。大抵は何かしらの「もの」があるし、あるいは人がいるしなので仕方ない。あーめんどくせーマジで(TOR)

さて、その仕事も大分類すれば製造業とサービス業に分けられると思う。ここでの製造業は、農業、工場とかで作るものも、エンジニアなどの新製品開発なども含める。要するに、何かしらの「形」があるものとする。ソフトウェアエンジニアは、今回は除外する。

サービス業は、「形」が残らないもの、あるいは「形」ではないものを提供する、「形」のあるものを誰かに売ることとする。スーパーやコンビニ、家電や胡散臭い通販やうざったい押し売り、オークション・フリマもサービス業として扱う。ただし、オークション・フリマに関しては時間と場所の制約がないことが多い(YHOC!やMRCR)ので、当てはまらないかもしれない。

製造業に関しては、工場は大抵、クソ田舎か海沿いにあるので、この時点で場所の制約は成立している。農業は大抵は地方である、だが最近はオフィスビルの一角で農業をするという画期的なことも行われているので、近いうちに場所の制約は消えていくかもしれない。新製品開発もまた、田舎っぽいところでやったりするので、おそらく同じである。製造業は案外、都市部より田舎のほうが多いのは気のせいだろうか。なんか割りに

サービス業は挙げればきりがないほどに存在する。輸送網全般は移動手段としてのサービス業、飲食店は食事を提供する意味でのサービス業と、考えれば考えるだけ存在する。しかも、意外と場所は選ばない。つまりは、やろうと思えば今からでも始められるとか、そんな勢いである。

いずれにしても、場所の制約は避けられないものである。また労働時間もあるが、それに加えて移動時間も加味すれば、時間の制約は大きくなるであろう。一般的な労働時間を8時間、移動時間を往復2時間、6時間を睡眠に充てるとすれば、自宅にいて活動している時間は1/4くらいしかないことになる。プライベート重視が騒がれているのに、これではどう考えても働きすぎだな。それが労働時間、内容に対する給料が少なければ尚更である。

 

自分や周りを犠牲にしてまで仕事する価値があるのか

この手の話でありがちなのは、仕事がすべて、人生となっている「仕事人間」が存在することである。そういう人は大抵、プライベートでの失敗とか、恋愛で失敗している人とか、夢を追いすぎてそうなった人など色々タイプが存在するが、その仕事人間はなぜか自分や周りを犠牲にしながらも仕事をしていることが多いようにも感じるのである。

まあ、99%も仕事をサボるやつよりはマシだとは思うが、私からすれば、所詮はどんなに仕事を頑張ったとしても、(インセンティブがない場合)給料は一律であり、努力が反映されることがないのが現実だからである。ほとんどの人が平で終わり、上に行くための階段が不安定で崩れやすいかそもそもないか、そんな状況が多いのに仕事を熱心にやる気にはなれない。私はそもそもやる気などないのだが。

なお、インセンティブのある場合は営業とかだが、それを用意しているところは往々にしてブラック企業であったりするので、これに関しては都市伝説だと思えば納得できると思う。要するに、資本主義なのに社会主義ジャップは日の丸だから赤だった…?

私も一時期、仕事人間になりそうな感じだったのだが(元コンビニ店員5年)、だがそれはあくまでもアルバイトという立場であったからそう感じたのであって、今こうして社畜として生きると、到底仕事人間なんかありえないことがわかるのである。プライベート重視、転居拒否、家で食う飯はうまい派である私に、仕事人間に成れるはずがない。プライベート重視の傾向がある中で、仕事人間という存在がいかにありえないか、それがわかるはずである。もっとも、経験しなければ、分からず仕舞いであったことも否定はできないのだが。

研修は後何日なのだろうか。だが、親しき友人からの連絡では、就業先で早速不満があって、だが極端に無理というわけではないという微妙な状態に立たされているというものだった。ずっと研修というわけにはいかないだろうが、同時にギリギリまで研修をしていてもいいかもしれない、そう思う私であった。

 

仕事とは距離を置いて、それじゃあ、また。

 

今回の一言

ネタ不足が深刻化し始めた。それはともかく、従業員数の多い会社は私には合わないかもしれない。