言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

選択の失敗と、人生の失敗 仕事を辞めるか、人生を辞めるか 2019-06-28

今日もまた、サボった。

職場からの電話が来る、直属の上司からも来る、その上からも来る、だが全部無視した。もうどうなってもいいし、どうせ今の会社に、居場所も戻れる場所もない。就業先もない。そもそもSESであるという時点で、合わないのだろう。合う人がいるとすれば、学生時代から社畜訓練を優秀な成績でこなしてきた馬鹿か、あるいは適応能力が非常に高い人だろう。私はその両方とも該当しないので、無理だったようだ。

さらには、直属の上司が突撃家庭訪問をしてきた。ここまでするのか、とも思ったが、電話も嫌なのに直接会うことも億劫で、闇金の取り立てのごとく、どうせ殴られて殺されて終わりなんだと思い、出なかった。自分で招いた結果なのに、周りが怖くなっていく。

すべてが敵に思えて仕方ない。社会とは、そんなに悲惨で危険なものだった。人にとってはそれがいいものにも、悪いものにもなる。私には悪いものであった。最初に突入したところが、悪いところだったばかりに。

でも、弱音は吐けない。吐いてしまえば、そこから私を攻め立てるから。きっといい顔はされない。そうわかっている。思い込みだとしても、そう考えることしかできない。その方向にしか思考が向けないようになってしまっている。どうやって考えても、いい方向に思えない。限界である。

心情は、常に悲しい。泣いてばかりで、もう何もしたくないとさえ思ってしまうほどに。ただ、泣きたくとも泣けなくなってしまうこともある。感情が壊れてしまったのだろうか。それとも私自身、すでにあらゆるものが壊れてしまっているのであろうか。わからない、わからないからこそ、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。いくらネット上に情報があったとしても、実体で触れられる人が周りにはいない。それもあって、どうしたらいいのかまったくわからない。

こうなるのは精神が弱いからなのか。それとも最初からそうなる運命だったのか。ただ1つ言えるのは、あれだけ嫌だと思っていた実家は、私にとっては必要であり、心の支えでもあった。それをたった1つの選択ミスで手放したところから、すべてが狂いだしたのだと思う。このブログの4月分あたりから書いていることだが、この時点でどこか別の場所に住むということ自体駄目だったということになる。埼玉に限らず、どこへ行っても無理であると。そんな理不尽さに気づけなかった私は、やはり無能なのかもしれない。気づけなかったからこそ、選択してしまった。選択してしまったからこそ、今こうして最悪の状態に陥っている。そして、逃げ道を自分で失くしてしまう。ここまで来ると、最後の逃げ道が自然とオープンになる。「自殺」という逃げ道だ。

結局これも、精神論的思考に片付けられるが、「自殺」=「弱い奴」。それは合っているかもしれない。ただ、弱いには弱いなりの「理由」がある。だから「弱い奴」である。誰も好きで「弱い奴」になりたいわけじゃない。もともとは強かった人でも、条件が揃えば強制的に弱くさせられてしまう。条件は様々で、人によっては当てはまるものも当てはまらないものもある。いずれにしても、その条件とぶつかってしまったせいで、心身共に異常をきたし、結果としてうつ病適応障害を始めとした病床にかかるであろう。これならまだマシなほうであり、そう判定されなかった人、あるいは自分をそれらの病床ではないと自己判断してしまい、そのままで居続けた結果、「自殺」する。それは「弱い奴」かもしれないが、だが同時に「弱くさせられた」ということも事実である。その原因は大抵、人間関係、社風、経営理念、企業理念などである。さらには裏企業理念とか裏ルールとか、意味不明な明記されていないものの所為という可能性もある。この理不尽さには呆れるが、だが世のジャップ企業の99%はそういうものが存在しているのだから、どうしようもないものである。仕事ですら遅れをとっているから国家単位で無能なのか……(困惑)

よく言われる、「自殺するくらいなら逃げろ」は、残念ながら浸透しないと考えている。何故なら、ジャップでは早期退職も含めた、退職後のアフターケアが不十分であり、かつ発言者はその発言の責任を取らない無責任な状態でいるためである。その現実を、自殺を選択した人は知っていて、分かってしまっているからである。社会保障があるわりに、普通の人のための保障はまるで整っていない。これでは働くもクソもない。この点はFOOL JAPANと言うべきだ。何がCOOL JAPANだ。

こうして打っていると、不満も問題点も多く出てくる。私がいかにジャップを嫌っているかというのが、これを書く過程で嫌でも認識させられる。新卒至上主義、3年就業論、旧型の終身雇用の名残、現代の働き方にはまるで合致しないようなことを平気で行っている。グローバル化の流れに逆行しているのが目に見えて分かる。

海外(主としてアメリカ)の話となるが、アメリカにおいては終身雇用はそもそも存在しない。そのため、殆どの仕事がいつでも募集中である。そのこともあり、アメリカでは転職してキャリアアップするのは一般的であり、逆に仕事ができない人ほど留まる傾向が強いのである。その感覚は1年単位であったりするようだ。また、転職後にレベルアップしてまた帰ってくることもある。よほど事情がなければネガティブとはならないようで、そのあたりはいいことと感じている。この裏には、入れ替わりが激しいことから明確にシステム化して対応していることが大きいようだ。

アメリカ人は、仕事に楽しさを求めている。金だけではないところがアメリカらしい。また転職理由に関して、ウマが合わない、意欲がわかない、創造性に欠けるといった、そんな理由でも転職するらしい。こんなことはジャップだと批判ものだが、それが許されるアメリカを、正直羨ましいとも思う。こう思うことは、やっぱりジャップの環境が私に合っていないのだろうか。

年功序列のジャップ、実力主義アメリカ。私が思うに、現在ジャップで企業に所属している99%は、アメリカのような実力主義型に変更になったとすれば、大半の人は仕事が「できなくなる」と見ている。できない奴=使えない奴であるからだ。また、実力があったとしてもそれを証明できなければ同じである。海外ドラマのような展開だが、あながち嘘ではないのかもしれない。アメリカでは「資格」を重視しているようだが、むしろ資格が自身の能力の証明であるという後ろ盾のための資格であり、簡単な試験で取れる資格とはまた違うのだろう。

アメリカは通年採用なためか、就活は存在せず、そんな無駄な時間よりも、学校でしっかり勉強してから、卒業後しばらくはインターンなり旅行なりアルバイトなりで経験を積んでから、それから好きなタイミングで就職をする。入社時期はバラバラである分、採用シーズンが始まるまで待つ必要すらない。この方がよっぽど効率がいいと思うのは私だけだろうか。その経験は、いずれ仕事で生きてくる経験であるからで、あるとないでは断然、あったほうがいい。

実力主義である以上、給料はそれに応じたものになる。だから胡坐をかいている人は一生平の給料ということになる。また、実力が高く、ほかの会社で活躍し給料が上がると期待できる人は、会社から転職を勧められる。そのため転職回数が多くなるのは普通のことであるといえる。このあたりはジャップとの大きな違いである。ジャップは転職回数をマイナスに見るせいで、そういう人にとっては生きづらいと分かる。

この点、労働者にはメリットだが雇用者にはデメリットでもあるわけで、しかしそのくらいで経営が傾くのであればそもそもそんなことは推奨しないはず。もちろん、指導の労力はかかるだろうが、そのような企業にとってはこれがウリになるのかもしれない。「キャリアアップできる」と嘘を書いて求職者を釣るジャップ企業とは大違いである。

これ以上書くと私が訳が分からなくなるのでこれくらいにするが、もし本気でジャップを嫌いになったとしたら。実家という拠点を捨てることになるが、夢ではなく現実を求めてアメリカへ飛ぶのも1つの手段かもしれない。ベガスに行っても夢は叶わないのでやめておけ。

種族こそ日本人、生まれは日本なのに、今住んでいる日本をジャップ呼ばわりするくらいに嫌っているのは、こんなおかしなことが平気で蔓延していて、それをどうにかしようともしない無能政府や経団連厚生労働省への失意、おそらく一生改善されないであろうという絶望感から来ていると思う。そうなると、確かに「自殺」も視野に入るのも仕方ないのだろう。だってそういう国に生まれてしまったのだから。

ただ、もしできることであるのなら。私は少しだけ生きて、ジャップで無理なら本気でアメリカにでも飛ぼうと思う。世捨て人ならぬ日本捨て人として。

 

生きるために、死ぬために。どっちとはいえない。

 

今日も首を絞めてみた。前よりも強く。でも死ねない。途中で苦しくなってやめてしまう。

 

やっぱり自殺は無理なのだろうか、それとも生きたいのだろうか。自分でも分からない。

 

だが、まだ生きてみるから。それじゃあ、また。

 

今回の一言

プレッシャーがひどく胃がキリキリする。何もないのに泣きたくなる。ふとした瞬間死にたくなる。もう駄目かもしれない。