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仕事が続かない(と思う)のは、仕事内容より性格か、その他か ~超雑多記事~ 2019-09-16

教訓だ。夢と現実を混同するなと言う。(ギル・グリッソム/CSI:科学捜査班)

 

夢と現実を混同している人はよく見受けられるが、テレビなどで取り上げられる人物を除いて、夢をちゃんと叶えた人は然程いるようには思えない。こういうものは、失敗談が99.9%で、成功談はあったとしても大抵アヘリ8である。アヘっている段階で114514%の確率ででっち上げか参考にならない話でしかなく、また明らかに誇張しているので見てはいけない(警鐘)。アヘってんじゃねーよくたばれ(嫌悪感MAX)

さて、一応は脱NEETとなったわけだが、最近思うのは、

私はどんな企業に所属しても、きっと長続きしないだろう

ということである。これは、仕事内容とか社風とかとはまた別の、内面的・精神や性格に起因するものである。極論、私は仕事なんてしたくないし、できることなら不労所得5000兆円稼ぎたい。

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5000兆円欲しい!

また、やってみたいことはあっても、それは性別の壁という見えない壁のせいでそもそも出来ないことが多すぎるのである。その内容は表には書けないことがメインであるのでそれは割愛するとして、つまりは、性別は男でありながら思考が女性的であるような感じであると思う。こうなると生まれた性別を本当に呪う。性別が男の時点でどうしても人生を損した、と思うようになってしまっている。実際、人生の難易度で言えば男はドミナント、女性はノーマル(フロム・ソフトウェア的難易度表現)である。自分が無能だったり人として問題があるような場合は尚更である。何故選べないのか、本当に嫌である。

話が大きく逸れたが、入社したばかりで仕事ができない、続かないと思うのは変かもしれないが、それは決して内容のせいだけではないと思う。性格その他が、その問題を引き起こしているのだと考えている。

どんな性格か挙げてみる

まずは私がどんな性格をしているか、簡易だが挙げてみる。

  • ネガティブ思考
  • 心配性
  • 臆病
  • ソロプレイヤー主義
  • 自分無能思考
  • プライベート重視
  • 仕事したくない
  • 自己嫌悪
  • 女性的思考あり
  • その他色々

なんだこれは…。たまげたなぁ。これではダメ人間のテンプレートみたいである。そもそも私がその(自称)ダメ人間であるという事実。コンプレックスの塊みたいである。

とりあえず客観的に分析すると、これは、1番目に挙げたネガティブ思考が占める割合が大きいと思われる。まずネガティブ思考でなければ、このように表現的にマイナスなことは次々と浮かんでくることはないはずである。これが逆なら、自惚れ屋の出来上がりだろうか。私の場合は自滅屋の出来上がりである。

よく、「ポジティブ・シンキング」とか言われるが、それは意味がない。自分のネガティブ思考は根本からの性格であり、変えろと言われても無理である。それにいくらポジシンしたところで、根本がネガティブならネガティブが必ず勝つようにできている。どんなに考えても、結局はネガティブな部分を削ぎ落とすことは不可能なのである。

全体を通すと、一般にマイナスとされる性格は、多くは根本にあるネガティブ思考から生まれたものではないだろうか。ネガティブ思考だからこそ、そのような性格が生まれるものであると考えられる。そうでなければ、違う性格が生まれていたと思われる。

※私としては、世間一般ではネガティブ思考がマイナスイメージなのが気に入らない。根本がそれなのだから、変えるのも難しいというのにである。多様性もクソもない。

 

唐突に襲う「なぞの不安感」

世間一般で言われているような、ネガティブ思考は仕事ができない、これに関しては散々言われていて、今更議論する気もない。それはどうでもいい話である。

仕事はとりあえず出来る、人間関係だって問題ない、しかし唐突に現れる、「なぞの不安感」に襲われることが多々ある。それは、仕事中であったり、仕事外であったり。時間を問わず襲ってくるのである。

それに襲われると、何の根拠もなしに「仕事が続かない」や「この仕事は向いていない」と、思考が支配される。意識はあるのに、思考のコントロールは私ではない「私」に奪われたかのような、そんな状態になる。

原因は分からない。分かっていたら苦労はしない。だが、原因と推定できるものはある。先に挙げたこと、ネガティブ思考から来る性格であろう。そのうち、心配性や臆病が原因と繋がっていると推定している。もっとも、それ以外の要素も強い気がするが。

同時に、好きなことをしている間はそれを全く考えない。今の私には、ゲームにラーメンに(家)酒飲み、K!B!S!とその他、おおよそ仕事に繋がるようなことは全くない。ちなみに、電子工作は別に没頭するほどに好きではないし、プログラミングも別に好きではない。資格もあったところで結局死んだら資格もクソもない(極論)。鉄道だって、酷鉄でも私鉄でも三セクでもそっち側になろうとは思わない。趣味=仕事とならないのは、好きが嫌いになる可能性を含んでいるからであると思う。プログラミングを選んだのは、趣味ではないからだと思う。休みを使ってまで勉強したり何かしたりとは思わない。これが趣味なら、毎日見ている画面はVisual Studioで、しょっちゅうエラーコードに悩まされていることになる。そんな生活はしたくない(コード社畜)。

話がまたずれたが、結局のところ、いくら仕事に対して適性があったり、或いはその仕事に並程度に取り組めるものであったとしても、ネガティブ思考とそこから生まれる心配性や臆病な性格は、唐突に「仕事が続かない」という思考の支配が起き、結果単なる思い込みであったとしても、本当に仕事が続かなくなってしまうことになる。少なくとも、私は。

 

逆に「仕事が長続きする」のはどういう時か

仕事が続かないなら逆を考えればいい、というのは安直だが、では仕事が長続きするのはどういう時だろうか。私の場合は、不変のネガティブ思考があるので、それがある限りは正直、何をやっても続かないと思う。

ただ、かつてのコンビニアルバイトは5年も続いている。これに関しては、環境と仕事内容が一致していたためだろう。そのときは、特に苦痛を感じることはなかった。仕事が続かないと言うことも感じなかった。もっとも、発注はやらなかったので、果たしてそれがいいかどうかというと、微妙ではある。だが、その頃は全くそんなことを考えもしなかった。

しかしアルバイトである以上、平均収入は5万円である。これだけではまともに生きる事は不可能である。だからどこかの組織に所属し、堅苦しい仕事をすることになるわけだが、その「組織」というのが、そもそもの長続きしない原因にも思える。

つまりは、「組織」に所属していることと、自身のネガティブ思考が結合し、仕事が続かない可能性も考えられる。ならば、「組織」に所属しなければ、仕事が続かないというのはなくなるかもしれない。つまりは、私がフリーランスや起業すればいいことになる。勿論、それは楽な道ではないと認識している。安定性に欠けることも分かっている。だが、「組織」のせいで仕事が続かないのなら、いずれは自力で稼ぐ手段を手に入れなければ、精神的に壊れるかもしれない。幸い、私は車も新築の家も必要とは感じていないので(ほぼ必要ない時代になった)、可能な限り出費を抑えることができれば、何とかなるとは思われる。

ただ、これでは死ぬまでの我慢ということになる。だったらもう少し若いうちに死んでたら幸せだったかもしれない。死ぬまで我慢なんて、ただの苦行でしかない。

しかしながら、現代のジャップでは仕事=組織、会社の構図が強く、フリーランスや独立起業、レイヴン(AC感)で働くスタイルは少なく在宅ワークや時短、完全週休3日を採用する企業は皆無と言ってもいい。さらには、普通の人のようには働けない人に対し、ジャップは冷たい。共存だとか個性だとか言いつつ、結局は普通じゃないもの、異端者を差別し排除しようとしているという、口だけは達者なこと。生きにくいという声が上がっても、まあ不思議ではない。

私自身、これまで挙げたとおりのこともあるので、普通の働き方は、普通の人以上の力でないとできない。つまりは常時ターボブースト(オーバークロック)しているような感覚である。CPUも人間も、一時的であれば定格、限界を超えることはできる、だがそれが常時となれば、いずれ壊れる。壊れたら、直すのに時間がかかる。CPUなら換えればいいだけの話だが、人間はそうはいかない。換えは効かない。治すしかない。

だがどうだろうか。一度壊れてしまった人間は、どこも受け入れてくれない。たとえ、治したとしても。まるで廃棄処分されるアンドロイドみたいである(DBH)。人間も結局は消耗品と何ら変わりがないような気がしてならない。そうなれば、「仕方ない」で死んでも許されると思いたい。

また話がずれた気がするが、「組織」で仕事が続かないのなら、「独り」で仕事が続くようにすればいいのだと、とりあえずは結論付ける。普通じゃない人だから、独立とか考えるのだろう。そこは、誇っていいかもしれない。

 

最終手段:ジャップを去れ

上に挙げたことでも、解決できなかったとしたら。そうなれば本当に居場所がなくなる。消えるしかなくなる。

ただし、ジャップの中で。

 

前々から、労働に関してはジャップは後発発展途上国以下のレベルで遅れているのである。それ以外にも色々遅れているものが多く、誇れるのはアニメとエロと人間性の低さである。まさしくFOOL JAPAN

ジャップの中で「不要」なら、それはジャップではもう死んだも同然である。逆に考えれば、死んだということは全てを失った、失うものもなくなったと無理やりな前向きに変換する。ネガティブ思考じゃなかったのか?

無論、脱出したからといって、それで全てが劇的に変わり、人生が変化するという期待はしない。ただフィールドを変えるという悪あがきは、最後の希望となりうる可能性もあるからである。

私は、死にたくても死ねないまま生きてきたわけで、それなら片道切符で好きなところに跳んでいき、その先で色々楽しんで、それで何か事件に巻き込まれて死ぬなり餓死するなりで、それでいいと思う。少なくとも有意義だ。

日本人だがジャップが嫌い、とここでは散々書いてきたが、それとは別に、「ジャップにある」仕事が続かないのなら、ネガティブ思考や心配性、臆病やフリーランス志向を良しとするところへ行ったり、物価が低い分給料も少ないが、そもそも仕事が少なくて済む盗難東南アジアなどに行く手もある。これは所謂海外脱出だが、この海外脱出が寛容で慣用になれば、選択肢の増加に繋がるとは思うのだが。

結局は性格や思想、思考の違いに収束するのだろう。それが私の場合は、思考という部分でそうなっただけであると思う。これはそれぞれであるから、あまり詳しくは書くことはない。

とりあえず、逃げる手段として用意しておくことには、ありなのかもしれない。

 

また、憂鬱な日々が始まるので、それじゃあ、また。

 

今回の一言

生まれる時代を間違えたし、早死もしなかった。死ぬよりも苦しい日々を生きている。