言いたいことは今日のうちに

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死にたかったが死ねなかった、辛かった時期を振り返る 2018-05-03

有名人を特別扱いするのやめにしない?

特に有名人が犯罪を犯した際、一般人なら普通に刑務所行きになるところを、執行猶予や示談で終了させるケースが未だに多い。これには納得がいかないのである。有名人といえど、社会ではただの「一般人」でしかない。それなのに未だに特別扱いする傾向が後を絶たない。

それはおかしいのである。有名人だからこそ一般人と同等に裁かれるべきで、情状酌量など必要ない。ましてそんな犯罪者を擁護する必要もないのである。こんなことがあるから司法で正義は成し得ないし、人間不信になるというのに。やっぱり銃規制緩和すべきでしょ。

そんな某オワコンアイドルグループとそのクソみたいな事務所はどうでもいいとして、いきなり見出しが重いことに困惑する人も多いと思う。これは約20ヶ月前の頃に起きた私の精神状態というか、思考というか、どう言ったらいいか分からないが、とにかく辛かった時期の1つである。実のところ、辛かった時期は普通の人以上にあるので、これ以外にも言いたい事はあるのだが。

その当時は勉強に対する意欲がいきなり消失した時期で、その原因は理系特有の「実験実習」という意味不明の必修の所為で、これのレポートをたった1週間で仕上げなければならないというブラック企業の演習みたいなことをし続けたせいで、精神的に壊れてしまった。そして、「死にたい」と思うようになってしまった。

しかし、当然というべきか、「死にたい」とは思っていても「死ねない」或いは「死にたくない」ということもあって、生き辛かった。その当時を振り返って、どうやって切り抜けたのかを書いてみる。

 

2016年12月 実験が嫌になりサボり始める

その当時はまだ2年だった。実験の内容は憶えていない。ただ、ほぼ同じことの繰り返しについていけなかったということは憶えている。それが原因で嫌になったはずである。

それまで一応真面目にやっていたこともあるのだが、真面目が故に起きたことなのか、或いはそれとは別の、例えば完璧主義者的な面があったのか。とにかく嫌になって、サボり始めた。

また、実験をサボることは留年に同じことである。そのリスクを犯してまでサボったのは、楽をしたいから。ただそれだけだった。今思えばかなり軽率な行為であったし、それで後々思い悩むことにもなった。だが、このような行動に至る結果として、当時はそれだけが唯一の出口に思えていたということがある。当時の私がまさにそれだったと思う。

 

サボり始めてから思った「こんなはずじゃなかった」

そうしてサボり始めたら最後、全部サボるようになる。一度過ぎたことが怖く感じなくなるのと同じ感覚である。同時に後悔もした。

「こんなはずじゃなかった」

サボるようなことになるのなら、いっそ別の学部で受験するか(今更無理)、転部すれば良かった、ということである。その当時は既に受付を終了していたためどうにもならなかったが、もし猶予があったのなら本当に転部していたかもしれない。だからといって実際にしたところで、辛いのは同じだったかもしれない。最早過去のことなので幾らでも言い訳は出来るのだが、逃れられぬカルマよろしく、辛いことからは逃げたところで別の形で襲ってくるのかもしれない。

 

「死にたい」が「死ぬのが怖い」

その頃から、「死にたい」と思うようになった。大学の構造上、高層階は普通にあるので、実際簡単に死ぬことは出来る。場所も選べる。とはいえ、死にたくとも「死ぬのが怖い」ために、考えるだけで実際にやろうとはしなかった。結局、甘えだったようだ。

そもそも実験はサボりながらも、普通の講義には出ていたので、その時点で死ぬ気なんてなかったと思う。本当に死ぬ気なら、預金全額を出して何処かに飛んで、行った先で死体になって終わっていただろう。やっぱり「死にたい」の裏返し「生きたい」なのだろう。

 

手持ち無沙汰だから独学で始めたJava、そしてAndroidアプリを作る

ただサボっていたわけではなく、サボり始めたと同時に独学でJavaを始めた。今まで実験に出ていた時間をサボるわけなので、その時間は暇になってしまう。また、当時は中退を視野に入れて動いていたので、それと同時に何か1つくらい出来る事を身につけておけば何らかの仕事で適当な企業に就職出来そうという甘い理由で始めたものである。

入門用の書籍として購入したのは「スッキリわかるJava入門」シリーズである。RPGを例としたJavaの演習が出来るもので、その書籍はかなり役に立った。読み終わった後でもリファレンスとして使うことも出来るため、買っておいてもいい書籍である。ただし、言語の進化は今も続いているので、最新の文法や関数についてはOracleなどがAPIリファレンスを公開しているので、そこをあたるといい。検索すれば幾らでも出るのでサイトのリンクは貼らない。

そしてJavaで出来る事として、Androidアプリの作成があることを知っていたので、技術を身につけたことの証明不労所得のためにそれを実際にやってみたわけである。電卓アプリで(激寒)。

結論から言うと、一銭も儲からなかった。本業じゃないからね、しょうがないね(悲観)。才能がある特別な人はそれだけで100万とか行きそうでやめたくなりますよ(作成放棄)。とはいえ、それが出来ないことは最初から分かっていたので別にどうでもよかった。

とりあえず、C++以外にJavaが出来る、ということで、少しだけ差別化を図れるとは思った。ただ、意外に独学でプログラミングしている人も多いので、実際のところはそれほど差が出ないかもしれない。

 

2年が終わって驚愕:実験が何故か受かっていた

それでもって、2年が終了した。それで成績表を見た。

60点(可)

何故か合格していた。60点は所謂最低ラインであり、実験をサボっていたにも関わらず合格とは実に不思議である。

恐らくは真面目にやっていた分が考慮されて60点になったのではないだろうか。多分1/3位サボっていたと思うんですけど(全15回)。中退するための留年が、上手くいかずに終わった。

 

こうなってしまってはもう仕方ないので、3年を普通に継続することにしたわけである。そして今の私がいるのである。これも運命とかそういうものだろうか。そして死にたい気持ちはここで消えたのである。でもたまに再発する。精神脆いからね、しょうがないね。

死ねなかったのが一番大きい要因だと個人的には考えてはいる。結局、時間が全て解決するということで、終わりでいいんじゃない?

 

ガバガバな文章になってしまったが、それじゃあ、また。

 

 

ちなみに、今日の気持ち

動画見ながら書くと文章こわれちゃうことが分かった。