日曜日のTLは煩い 2018-03-04
私はTwitterをやっている。
上記のことを言っても今の世界では普通のことだから、特に何でもない(ただし60歳以上とか公式認可とか、そういう場合はまた別の話)。依存するほどでもないくらいで、これで書くことはほぼないようなものである。
だが日曜日は例外だ。Twitterを見るのを止めるようにしている。
日曜日に潜む悪魔
チャンネルは忘れたが、某アイドルが何かする番組がだいたい19時~20時、特番で2時間くらいのときもある。それはここ5年、10年ずっと変わっていないはず。それだけなら何だでもない訳だ。
だが、それがTL実況されるとなれば話は変わってくる
嫌悪の対象は「人」 へ
自分としては全く興味がなく、観たことも今後も観ることがない無縁の番組で、好意も嫌悪もない。表現は「無関心」が適当だろう。
だがそれをTLで実況を垂れ流す輩については、理解できないの一言に尽きる。「番組」ではなく「人」に対し、嫌悪を感じる。
ネタバレとか、そういうことではなく。内輪ネタというべきであろう。極論を言ってしまえばTwitterでの発言は全て内輪ネタに分類されるが、特にTL実況に関してはタチの悪い内輪ネタとも言える。
このタイプの内輪ネタを嫌悪しているのは、結局「無関心の押し付け」と「同調圧力」をそこから感じるからである。ただし自分がそう感じるだけで、これを読んでいる読者やその他のTLの人がそう思っているというわけではないことに注意してほしい。
正直に言うと、2000年代初期、インターネットが一般にも開放され始めた時期に流行っていたであろう、専用掲示板を使った実況をして、そこで篭っていてもらいたいものである(時代などについてはこの記事の作成者の独断による)。
とはいえ、そんなことは知っていてもしない輩が多いことであろう。残念ながら抑制も指摘も効果がないと考えた結果として出てくるのがTwitter不閲覧日化という対策になる。
別に毎日見ないと「死ぬ」訳ではないから
TwitterはSNS(※公式は厳密にはSNSではないと否定)ではあるが、所詮は掲示板の拡張版といった感じでしかない。それはどういうことかといえば、
「毎日見なくても死ぬ訳ではないでしょ」
ということだ。
どうも最近はLINEやら顔本やらもあって、SNSに囲まれているといっても過言ではない中で、「毎日やらないと死ぬ病」でも発症しているのか、とにかくSNSをやりたがる。これを言い換えると依存症ということになるのだろう。にしても、毎日やらなくてもいいのではないか。
別に毎日やったから何か表彰やら賞金やらが出るわけでもなければ、1ヶ月に1・2回でも話題を共有できる相手はいる。それが捨て垢だとか別の目的を企図したものでなければ。
逆に言えば、1日くらいやらなくてもいいということ。SNSを辞めろとは言わない。せめて依存しないような生き方をしてみるのもいいじゃないか。画面に執着するその時間を、自分の趣味ややりたいこと、或いはやらなければいけないことに回すのも、使い方の1つとなるはずだ。
(※何年か前にネット断食とかいう計画を学校レベルでやっていたらしいが、それは逆効果であり、むしろ依存を加速させるものだとして、反論を述べておく。)
私が実際やっている「Twitter不閲覧日化」が、その例である。これは現在は日曜日だけに設定しているものだが、別に1ヶ月でも週3日でも何でもいいわけである。あくまで例であり、ここは自分のスタイルに合わせて柔軟に設定すればいいだけの話である。
結局、本題からは逸れてTwitterを含めたSNSに使い方の提案になってしまったが、こういう話題というものは書いていくと自然に話題が逸れてしまうものなのかもしれない。それは私だけの特性なのかもしれないが。
くだらない話だったかもしれないが
検索やらでここまで来て、「結局SNSの使い方講座かよ」と思ったことかもしれない。だが、こんなくだらない話をここまで真面目に読んでくれた貴方は優しい人だ。ありがとう。
こうして書いておくと、自分がスッキリした気分になれるという自己満足だけで書いている。ただ、日記にしても何かの媒体に書いて、その後は何もせずそのままで終わり。これじゃつまらないからこうしてネット上で誰かが見れるように書き、記録として残している。そして、「こんな人もいるんだ」程度に思ってくれると、その方が私もやりやすいかもしれない。気兼ねなく書けるような気がするからだ。
それじゃあ、また。
ちなみに、今日の気持ち
死にたい気分は消えないが、死ぬのはまだ先にしようと思った。