言いたいことは今日のうちに

ただ書きたいことを書く、それだけ

Fatal Error: Your choice was mistakes. 2019-04-28

帰省!(現実逃避)

 

偽都会埼玉からの一時帰宅。実家のような(実家なんだよなぁ)安心感。何もない大宮よりも、地元のほうがそれなりの交通量、今だから実感する『家族』の存在、そして何より、今まで積み上げてきたものがすぐ近くに『存在』するという、個人により変動する感情の部分。私にとって大事なことは、仕事ではなく身内であることを再認識した。

だが実際のところ、これも大宮に住まなければ分からなかったことであるのは確かだ。大事なもの・ことほど、それが離れて初めて分かるというのがなんとも歯痒い。近くにあるうちに気付けていたら、どんなに楽だったであろうか。

これが社会勉強だとしても、二度と惨めな思いはしたくないものである。

 

さて、そんな地獄から抜け出すように、10日間の短い間だが、実家へ帰省した。これが嬉しかった。一時的ながら、元に戻れるからである。どうやら私はアムロだったようだ。コア・ファイターで帰れれば完璧だった。

f:id:murakoshi6etu:20190427154454j:plain

心の中のアムロが泣いていた。

しかしこう思うということは、やはり。

人  生  の  選  択  を  間  違  え  た  (確信)

というか、間違った人生を歩んでいる気しかしない。リセットしたいな。

人生とは選択の連続

偉そうな哲学者みたいな人とインチキな占い師がそう言っていた一般には、人生とは選択の連続であるといわれている。運命説もあるが、この解釈の差は派閥とか宗教観とかで変わるようだ。

それはともかく、一本道ではなく分岐ばかりで、しかもその分岐は2択以上であることが多い。なので人生は"if-else"よりも"switch"でできていることになる(C言語並感)。

C言語コンパイル時にエラーが発生しても、その原因を教えてくれる。しかもエラーを残したまま実行しても、強制終了で異常が発生する前に止められる(が、そうならない場合もある)。

しかし、人生の選択においてはエラーであっても強制的に実行される。そして結果が出力される。その結果が次の人生の選択において使用される。その繰り返しである。

最初の選択を間違えたとき、その道中で修正することは難儀である。ハイスペック人間であればそれを修正できるのだろうが、大抵はそのまま、間違った方向に進み、最終的に間違った結果を生み出す。つまり負の連鎖である。

そうして、負の連鎖が続けば、状況は悪化していく。一度の失敗が全てを崩壊させるとは、このようなことが原因として起こるのだろう。

 

選択を「誤った」と判断するタイミング

さて、「正しい」選択をすればその危険は無くなる、ということになるだろう。では逆にどうすることで選択を「誤る」のだろうか。

これに関しては、選択した瞬間は「正しい」と感じて選択したことだと思われる。それは当然である。それが最善策であると思って選択したので、100%「正しい」選択であるといえるだろう。

しかし、選択から時間が過ぎ、ある程度落ち着いてから、或いは選択の結果を経てから、選択を「誤った」と判断することがあるのではないだろうか。

これは個人の見解であるが、その選択によって得た結果が悪かった、過去の状況より現在の状況が悪化した場合選択を「誤った」と見るであろう。

だが、これには1つ問題がある。それは、大抵の場合選択する前には分からず、選択した後で「誤った」と思う、判断することである。これは、選択によって得られる未来の情報について、限定的にしか収集できないこと、情報が不足していること、長期的視点から見ることを怠り、短期的視点で見た結果……様々な理由が挙げられる。

しかし、これらの理由を解決するように努力したところで、未来を完全に予測できるものではない。それは日記所有者でもない限り無理である。でもあれ7/28までだからそんなに意味がない。もっとも、"DEAD END"しか待っていないと思うが。

f:id:murakoshi6etu:20190428211956j:plain

結局DEAD ENDしか待ち受けていない。

したがって、選択を「誤った」と判断することは、避けられない事象なのかもしれない。しかし未来日記ネタわかる人いるのだろうか。

 

そもそも「生まれてしまった」ことが間違い?

極論であるが、この酷い世界に生まれてしまったことが間違いである、ということを思う。しかし、生まれてこなければこれを書くことはできないため、どちらが良いかと言われると断言は無理である。

生まれてしまったことが「間違い」であると考えているのだが、実のところ「選択」ではないという矛盾が生じている。どういう理由で、どういう原理で生まれてきたのか、全く分からないし記憶だってない。

だが、生まれてしまったことが間違いであるにもかかわらず、私は生きている。実に不思議である。自殺する勇気はなく、事故死も起きず(ただし死にかけは何度か経験している)、そうして生きていたらこうなってしまった。ある意味、生きるか死ぬかの選択を「誤った」のだろう。

もっとも、考えても仕方ない気がしてきた。もう適当でもいいだろう。

 

何故かこのネタで書くことができなくなってきたので、この辺で切り上げることにする。適当に切り上げるのを許してほしい。それじゃあ、また。

 

今回の一言

転生は望まないが、ステータス変更の機能は欲しい。